商品詳細

村正唯一の合作刀
刀 銘 村正 俊次 俊廣
Katana(Muramasa・Toshitsugu・Toshihiro)

商品番号NO.K00148価格参考品
登録証東京都
鑑定書NBTHK No,23Jyuyo Paper 日本美術刀剣保存協会 第23回重要刀剣指定書
伊勢国(三重県)
時代室町時代後期
刃長73.2.cm (2尺4寸1分6厘)
反り1.9cm
元幅3.2cm
先幅2.4cm
元重0.7cm
先重0.5cm
形状鎬造、庵棟、身幅広く、先反りつき、大鋒
板目に杢交じり、流れて肌立ちごころとなる。
刃文浅く大きくのたれ調に互の目交じり、小足・葉入り、小沸つき、匂口は締りごころとなる。
帽子のたれて小丸。
生ぶ、先栗尻、鑢目切り、目釘孔一。
附属品白鞘(田野辺道宏先生鞘書)・古鞘(佐藤寒山先生鞘書)・金着二重桐紋ハバキ
詳細説明村正は伊勢国桑名の刀工で世に言う“妖刀村正”である。
その由来は、家康の祖父清康と父広忠は村正の刀で暗殺され、長男の信康は切腹させられる際に村正の刀で介錯され、家康自身も村正の槍で負傷したという処から徳川家にとっては、不吉な刀として嫌われるたと伝えられている。一説には村正帯刀禁止令がだされたとも言われている。そのためかなり多くの短刀は銘の部を削り取ったり、改ざんされた作品が多い。妖刀村正は逆に徳川家に対して好意を持たない大名は、積極的に村正を求めたと言われております。
だが、村正を妖刀として恐れたという話は後世の創作で、実際には家康は村正を好み、尾張徳川家に遺品として徳川美術館に残されている。この刀は二代村正・俊次・俊広の三人合作の重要刀剣である。合作者の俊次は室町時代後期享禄頃の相州小田原鍛冶で、俊広は日本刀銘鑑に記載はないが、おそらく俊次の兄弟或いは子弟関係にあるものと思われる。大鋒で身幅が広く元先の幅差目立たず、手持ちがズッシリとした体配の豪壮な刀は村正には珍しいのみならず現存確認されている村正の合作刀は各代別を含めてこの一振のみで資料的価値も頗る高く貴重である。
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