商品詳細

刀 銘 村正
Katana(Muramasa)

商品番号NO.K00142価格参考品
登録証宮崎県
鑑定書第49回重要刀剣 NBTHK No,49Jyuyo Paper (公財)日本美術刀剣保存協会 第49回重要刀剣指定書
伊勢国(三重県)
時代室町時代後期
刃長66.5cm (2尺1寸9分4厘)
反り2.1cm
元幅2.8cm
先幅1.8cm
元重0.6cm
先重0.4cm
形状鎬造、庵棟、身幅尋常、反り深く、先反りつき、中鋒
板目つみ、流れ肌交じり、地沸つき、地景入る。
刃文直ぐの焼出しごころあり、その上、下半は小のたれを基調に互の目交じり、のたれが角がかり、上半は直刃基調に浅くのたれ、小互の目・尖り刃などを交え、下半と上半の焼刃を異にするが、表裏の刃文が揃い、足入り、匂深めに、小沸よくつき、砂流しかかる。
帽子表直ぐに丸くさかんに掃きかけ、裏直ぐに小丸に返る。
生ぶ、先刃上がりごころの栗尻、鑢目勝手下がり、目釘孔二。
附属品金着一重ハバキ
詳細説明村正は伊勢国桑名の刀工で世に言う“妖刀村正”である。
その由来は、家康の祖父清康と父広忠は村正の刀で暗殺され、長男の信康は切腹させられる際に村正の刀で介錯され、家康自身も村正の槍で負傷したという処から徳川家にとっては、不吉な刀として嫌われるたと伝えられている。一説には村正帯刀禁止令がだされたとも言われている。そのためかなり多くの短刀は銘の部を削り取ったり、改ざんされた作品が多い。妖刀村正は逆に徳川家に対して好意を持たない大名は、積極的に村正を求めたと言われております。
だが、村正を妖刀として恐れたという話は後世の創作で、実際には家康は村正を好み、尾張徳川家に遺品として徳川美術館に残されている。この刀は、銘字の書風及び茎仕立から二代村正と鑑せられるもので、出来がよいのみならず、地刃が健全であることが好ましい。
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