商品番号 | No,K00232 | 価格 | 1,000,000円(税込) |
登録証 | 栃木県昭和53年9月19日交付 |
鑑定書 | (公益)日本美術刀剣保存協会 保存刀剣鑑定書 NBTHK Hozon Paper |
国 | 相模国 |
時代 | 江戸時代後期 |
刃長 | 2尺8寸5分(86.6cm) |
反り | 3.0cm |
元幅 | 3.6cm |
先幅 | 2.6cm |
元重 | 0.7cm |
先重 | 0.5cm |
形状 | 鎬造、庵棟、反り深く、大鋒。 |
鍛 | 板目に、小目を頻りに交え、刃寄りなど総体に柾交じり、肌目がたち、地沸つき、地景太く入り、鉄色黒味がかる。 |
刃文 | 丁子乱れに互の目を交えて、小沸よくつき、総体に砂流し細やかにかかり、匂口沈む。 |
帽子 | のたれ込み、小丸に返る。 |
茎 | 生ぶ、先刃上がり栗尻、鑢目大筋違、目釘一 |
附属品 | 朱漆塗刀拵・銀着二重鎺 |
詳細説明 | 立花圓龍子国秀は、中山一貫斎義弘の門人にして、圓龍子と号す。初め、天保頃には上野国安中藩の板倉家の抱え工として作刀し、その頃の銘文は「上州安中住円竜子立花国秀」「橘円龍子国秀造」などと銘す。のちに、相模国鎌倉に移り、嘉永、安政、文久などの年紀作がみられ、「相州鎌倉住国秀作」「相州鎌倉住橘国秀作」などと銘す。弟子に、師:一貫斎義弘の孫で、水戸の長島義勝の子である立花円竜氏義秀がいる。師から孫の育成を任されたのは、国秀の技倆を余程に高く評価し、信頼されていたためであろうか。幕末の坂本龍馬が陸奥守吉行を佩刀としていたことはあまりに有名な話であるが、他に嘉永6年、江戸の北辰一刀流千葉定吉道場に入門し、その修行が終わる頃に注文した「相州鎌倉住国秀」「嘉永七歳八月日」の銘文のある刃長:二尺六寸六分 (80.6cm)の刀が現存している。この刀は、のちに土佐勤王党の同志、弘瀬健太の刀と交換している。当時の土佐藩士の間では、「土佐の長刀」とよばれる、長い刀を指すことが流行していた。本作は2尺8寸5分もある長い刀で朱漆塗鞘は正に土佐の長刀と言える一品ある。 |