短刀 銘 村正 (附)金梨子地蒔絵短刀拵 Tanto(Muramasa) |
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詳細説明 村正は伊勢国桑名の刀工で世に言う“妖刀村正”である。 その由来は、家康の祖父清康と父広忠は村正の刀で暗殺され、長男の信康は切腹させられる際に村正の刀で介錯され、家康自身も村正の槍で負傷したという処から徳川家にとっては、不吉な刀として嫌われるたと伝えられている。一説には村正帯刀禁止令がだされたとも言われている。そのためかなり多くの短刀は銘の部を削り取ったり、改ざんされた作品が多い。妖刀村正は逆に徳川家に対して好意を持たない大名は、積極的に村正を求めたと言われております。 だが、村正を妖刀として恐れたという話は後世の創作で、実際には家康は村正を好み、尾張徳川家に遺品として徳川美術館に残されている。 |
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特別保存刀剣 NBTHK TokubetsuHozon Paper (公財)日本美術刀剣保存協会 特別保存刀剣鑑定書 |
NO.K00106 | |||
刃長:22.0cm (7寸2分5厘) 反り:内反り 元幅:2.3cm 元重:0.5cm |
売約済 |
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国:伊勢国(三重県) 時代:室町時代後期 |
登録証 | |||
新潟県 昭和28年10月15日 |
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形状:平造、庵棟、身幅尋常、重ね薄め、内反り。 鍛:板目肌流れて柾ががり、地沸厚くつく。 刃文:のたれ調に小互の目、小のたれ交じり、砂流しかかり、小沸つき、匂口明るい。 帽子:表のたれ込み地蔵帽子風となり、深く返る。裏のたれ込み、深く返る。 茎:生ぶ、先入山形、僅かに切鑢が残る、目釘孔二 |
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白鞘・金梨子地蒔絵短刀拵・金着一重ハバキ |
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